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塗色

茶色

デンテツは、1933(昭和8)年に開業しましたが、その当時の車両塗色は一般的だった茶色一色でした。この色は、月潟駅に保存してあるモワ51号の窓枠(一ヶ所のみ)にそれらしきものを見ることができます。その後、時期は不明ですが塗色は濃緑一色となります。

濃緑色

『新潟交通20年史』には「県庁前駅竣功」の題の下に、クハ31形32+モハ11形+モハ11形が県庁前駅に停まっている写真が出ています。題や被写体の状況から見て竣功(1936(昭和11)年)直後の記念写真ではないかと想像できるのですが、写っている3両の色合いが全く違います(先頭のクハ32は土ぼこりでかなり汚れているような色合い、2両目は全体的に白っぽい、3両目は全体的に黒っぽい)。白っぽいほうは、白黒写真を見慣れていない私にはどうも黄色に見えるのですが…、この頃に濃緑への塗色変更が行われた可能性もあるということです。なお、モワ51には、かぼちゃ電車保存会の方が修繕時に塗膜をはがすと緑色が出てきたということで、濃緑色は証拠が残っています。

緑+黄

雨樋〜ヘッダー上・シル下は全て緑

まず旧型車に詳しくない方に解説をしておきます。国鉄の旧型客車・旧性能電車などには、窓枠を支える補強が入っていました。それが出っ張っていて目立つので、旧型車の象徴ともいえるものになりました。ウィンドヘッダー(以下ヘッダー)というのは、窓枠の上支え、ウィンドシル(以下シル)というのは、窓枠の下支えです。

この塗色には例外がありました。ヘッダーが鋼板で隠れていた東武からの供出車、モハ17形17・18は、窓の真上まで緑色でした。
シル下は全て緑色なので、前面(中心に車両番号が書いてある)が見えなければ、後述する金太郎塗りとは区別がつきません。変更の時期ですが、1953(昭和28)年に瀬古龍雄氏が撮影されたモハ11形15は、すでにこの塗色でした。つまり、変更時期としては戦中・戦後です。また、以前月潟駅に飾ってあった(復活していました)絵葉書(コピー)には、1943(昭和18)年にデンテツに入線したクハ33が写っていましたが、これは茶か緑かわかりませんが単色でした。写っている人が白っぽいドレスを着ているようなので、戦時中(終戦は1945(昭和20)年)や戦後数年ではないのでしょう。

上記の金太郎塗り

金太郎塗りとは、車両前面で帯がカーブする塗り方で、金太郎の腹掛けに似ているところからの命名でしょう。これの発端は湘南電車80系の先頭車、クハ86のようです。1950(昭和25)年製造開始で、当時の国電の茶色一色の世界から抜け出すものとして、その特徴的な前面形状と合わせて全国各地の私鉄に蔓延していきました。

東武からの供出車3両(モハ17形17・18、モハ19形19)はこの塗色をまといました。入線は1947(昭和22)〜48年で、最古の写真は1954(昭和29)年に、これも瀬古龍雄氏撮影のモハ17形18です。この写真では前項の塗り方で、2年後の1956(昭和31)年にもこの塗り方が確認できます。しかし、1957(昭和32)年には金太郎塗りが出てきます。この塗り方では前面中心に番号の標記はありません。他に、モワ51形51・クハ37形37・クハ38形38にこの塗色が確認できますが、他車はこの頃の写真がなく、不明です。前項の塗り分けとも、ヘッダーの上が暗い色なので、後述する塗り分けと比べると重々しい感じがあります。

雨樋相当部分・シル相当部分下は全て緑

「相当部分」とあるので、感の良い方はわかるのではないでしょうか。そうです。デンテツにもモダンな車両(日車標準車体)が登場しました。「車両について」でもお話したとおり、デンテツ最初の日車標準車体はモハ19形19(1960(昭和35)年)で、燃える恐れのある木製車体を全鋼製車体に交換するのが目的でした。これでデンテツには木製車体はなくなったものの、その後もモハ17形18→モハ18形18(1962(昭和37)年)、モハ11形14→モハ10形14(1963(昭和38)年)…と交換が続きました。私見ですが、モハ18は旧車体をクハに捻出するため、モハ14以降は車体大型化のためではないでしょうか。

在来スタイルの車体ばかりだったデンテツに突如舞い降りたモハ19は、いかにも輝かしかったことでしょう。上の緑はヘッダー付近までは至らなかったことに加えて、前面部分の塗り分けは金太郎塗りではなく、ただの帯でした。これによるものかどうかは断定できませんが、この後2段階に分けて在来車の塗り分け変更が行われます。

雨樋・シル下は緑・金太郎塗り

前述の新生モハ19登場後の写真資料が1963(昭和38)年までないのが残念ですが、その1963年の写真(クハ31形+モハ11形)を見ると、緑色が雨樋まで上がっています。これはモハ19の影響ではないでしょうか。

雨樋・シル下は全て緑

さて、いよいよデンテツ晩期の塗り分けです。ただ、晩期といっても、この塗り分けが始まったのは廃止二十数年前です。

前項の金太郎塗りが最後に確認できるのは1973(昭和48)年のモワ51(「デンチュウの鉄道ページ」のデンチュウ様※リンク集参照※撮影)です。その前年の1972(昭和47)年には、モハ16形16・クハ36形36・クハ37形37・クハ39形39・クハ45形45・48・49・50がこの前面帯塗りになる中、クハ45形47だけが前項の金太郎塗りで走る姿が写されています(「旧型貨車保存図鑑」の#9999様・太字は「ぽこぺん」のさっしい様※リンク集参照※撮影)。ということで、1972(昭和47)〜73年頃がこの塗り分けへの過渡期だと思われます。

平成も一桁台中頃に入ると、旧型車ではクハ45形46とモワ51しかいなくなり、日中はひたすら日車標準車体の単行が走るという短調な鉄道と化してしまいました。ただ、その中にもキ100形116+モワ51というスーパースターと、クハ46・モハ2220形2229+2230という朝の働き者がいたのが、何よりもの救いだったと思います。