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キ100形116 2軸ボギー雪掻車

ラッセル式雪かき車として国鉄(現JR)を代表する形式です。譲渡元の国鉄では1928(昭和3)年〜1956(昭和31)年の28年間に294両が製造され、北は北海道、南は山陰あたりまで配置され、冬にだけ活躍していました。

当車は、デンテツ先代のキ1に続き日本で2番目、今のところ最後の制御装置付雪かき車です(現役が3両《うち1両老朽化で使用不可》ですから、"最後"は確実のようです)。

キ116
キ116 廃止直前 提供:渡辺晃様(渡辺さん)

国鉄での活躍

当車は、1932(昭和7)年、鉄道省(のちの国鉄。現JR)大宮工場で製造され、のちに294両の大所帯となるキ100形としては17番目の「キ116」という番号がつきました。ラッセル式雪かき車としては初の鋼製車です。

実は、デンテツに譲渡された先輩にあたるキ1形1(国鉄ではキ1形36。木製)もこの大宮工場で誕生しています。キ1(当時はユキ15形)の方は、ユキ15形(のちに80両以上を数える)の10番目あたりに製造されたと推定しています。キ1にしてもキ116にしても、形式の中ではかなりの古株であることがわかります。なお、キ1は1914(大正3)年製造なので、キ116の18年先輩です。

前頭形状については下項でお話します。

キ100形が活躍した時代は、もちろんくろがねの巨体が大活躍していた時期ですから、蒸機に押されていたわけです。また、雪かき車は毎年夏になれば不要になり、広大な操車場や機関区の一角で群れをなして、日に焼けながら寝ている光景があったそうです。この非効率的な面が、平成1桁台に雪かき車が形式消滅した原因の1つでしょう。有名なサンパチ豪雪ではキマロキ(雪かき車特別編成)に大敗を喫した除雪ディーゼル機関車も、徐々に力をつけ、小雪傾向もそれに追い討ちをかけて雪かき車は減少の一途をたどりました。

国鉄晩年は、新庄駅の常備車として過ごしました。それ以前の配置先が全くわからないのが残念です。いい資料があったらぜひご教授ください。

デンテツに来てから

キ116は、キ1形1の後継ぎとして1967(昭和42)年12月に新潟入りしました。キ1はそれに合わせて廃車されたはずですが、記録が残っていません。そもそも、電動・制御客車や有蓋・無蓋貨車の修繕記録は残っているのに、雪かき車2両の記録が1件たりとも残されていないのが不思議でしょうがないです。

冒頭で書きましたとおり、キ116も、キ1と同じように、雪かき車の操縦台で運転の制御ができるように改造されました。モーターのある車両に制御信号を伝えるのには制御電流が必要で、それを起こすのには電気がいりますが、それは雪かき車内の発電機で作っていたようです。

雪かき車を押した記録があるのは、電動貨車のモワ51だけです。一番古いのが、1954(昭和29)年7月7日(キ1入線は1951(昭和26)年)のエアーコンプレッサー(空気圧縮機)購入の件です。そこには、「モワ51に貨車10両を牽かせる場合、又ラッセル車を連結するときは使用空気量が圧縮空気量を超える。圧縮空気を規定量まで貯めるにも時間がかかり、ダイヤ上のネックになるので容量の大きいコンプレッサーを購入して欲しい」というようなことが書かれています。つまり、コンプレッサーの容量が足りない他車は必然的に連結できないわけで、先代のキ1の時代から半世紀近く、伝統的にモワ51牽引であったと見て間違いないでしょう。

上の圧縮空気量にも関係するかもしれないのですが、1972(昭和47)年〜1981(昭和56)年の間に、6本あった屋根上のエアータンクの中列2本が間引かれました。運転区間が短いので6本もいらなかったのか、それとも穴でも開いて修繕不能になって外したのか、記録が残っていないことには推測するしかありません。

デンテツ廃線間近になると、キ116+モワ51のコンビがファンに大受けしたのはいうまでもないでしょう。車齢70年近くのコンビが除雪しているのですから、珍しさには折り紙つきでした。この人気が、廃止時にこの2両とトップナンバー(当時)のモハ11が月潟駅に奇跡の保存を果たした助けになったかもしれません。なお、小雪でとうとう1回もキ116+モワ51のコンビが出動できなかった年もあったそうです。

前頭形状

当車の先端部の形状は、どことなく威圧感のある箱形ですね。正式には直線形といいます。実はこれ、改造後の姿です。

キ116の場合、製造された当初は延鋤(のべすき)形(農具の1つである鋤に似ている)といわれる形状でした。この形状、国鉄先代のキ1形のスタイルを踏襲したものなのですが、キ100形の場合はなんとも間が抜けた表情になってしまいました。あっぱーん(新潟弁?)と大口を開けています。

別に間が抜けていたから改造されたわけではなく、実務上支障があったので改造されました。延鋤形では、北海道の乾雪には効いたものの、秋田県新庄地方の湿雪には適さず、これに適するものを作っても新潟地方の水分の多いベタ雪には対応できなかったそうです。

それで前頭形状の改良研究が、新潟鉄道局と札幌鉄道局(どちらものちの改組で鉄道管理局となる。国鉄解体と同時に廃止、JR各支社の基盤となる)が競い合う形で続けられ、新潟鉄道局で試作した直線形が一応どの雪質にも合うということで、1940(昭和15)年以降に新製された、除雪DCも含めたラッセル式雪かき車は、全て直線形で統一されました(キ273の試作パラボラ形を除く)。

キ116を含む在来車も、ほとんどが直線形に改造されました。なお、北海道は延鋤形、新潟は直線形などと、一番適する形状をそれぞれの地方で分けて採用しなかったのは、国鉄が全国単位で動いていたことの表れですね。これを非効率というか否か…。

あとさきになりましたが、延鋤形・直線形の外にもう1つ、流線形という形状もありました。その名のごとく、新幹線の出現を予感させるような、とまでは行きませんが、直線形に比べればなめらかで美しいです。

流線形は1936(昭和11)年頃製造のキ144から採用され、延鋤形を廃止に追いやりました。延鋤形だった在来車も、1940年に直線形が実用化される以前に改造された車両は流線形になったようです。流線形は、直線形登場後に数両が直線形に改造されたほかは、流線形を保っていました。北海道の三笠鉄道記念館や京都府の加悦SL広場に展示してある車両は流線形です。

流線形の車両が残ったのは、排雪抵抗が上記3形状の中で一番少なかったからかもしれません(新潟鉄道局の実験による)。ただ、あまりに排雪抵抗が少なすぎると、試作パラボラ形のキ273の二の舞を踏む(雪をはね返せなかった?)ので、難しいものです。

この前頭形状には、私の中ではまだ謎があって、直線形で製造されたはずの車両が流線形になっているという事例、さらにそれがまた直線形になっているという事例があるので、車号振替の可能性も考えてじっくり研究していきたいところです。でも、でも、資料がない……。

戦時中のお決まり

このキ100形も、戦時中の金属供出、金属節制で、木体化の道をたどったようです(同じ状況の車両に改造前トラ5000形→改造後トラ6000形15000番台があります。この形式の場合は在来車も含めて全車木体化されました)。木体化されたと言えるのも、キ400形(2代目)の存在があるからです。

キ100形の場合はどうも戦時中の新製車だけが木体化の対象になったようです。製造両数は不明ですが、戦後の1953(昭和28)年に18両が札幌の苗穂工場で鋼体化され、キ100形への編入を果たしました。

その各車を追跡してみると、小樽交通博物館に行ったキ270や三笠鉄道記念館に行ったキ274がいて、保存率は高い方です。珍車の極めつけは、前頭部をパラボラ改造されたキ273です。この車両は、排雪抵抗(=機関車にかかる抵抗)を減らすために試験的に作られたのですが、その抵抗があまりに少なすぎて雪を飛ばせなかったという噂があります。

雪をかき分ける翼

写真を見てわかるとおり、国鉄キ100形には、広幅を除雪するために翼がついていました。これを広げたままではホームを通過できないので、蒸機から圧縮空気をもらって、それをシリンダーから出し入れすることで翼を開閉できるようになっていました。

これはNゲージ鉄道模型ですらも再現しているので周知のとおりかとは思うのですが、実はこの翼、上下にも動けるのです。

デンテツに来た116号もこの動作用のシリンダーは残っていて、そのシリンダーが何のためにあるのか、かぼちゃ電車保存会の長い間の謎となっていたそうです。

なぜ上下に動くのかといいますと、回送時に翼を上げて走行できるようにとのことです。有名な「ララキマロキラ」編成のように、退行時の最後の手段としてラッセル車を連結していたり、転車台がなく、帰りはバック運転になるような状況下では、翼が雪を抱え込んで開き、破壊されかねない状況に陥るのでしょう。

この装備は、「日本国有鉄道百年史」によると、1936(昭和11)年から装備されたということです。皆さんも月潟にお越しの際はじっくりご覧になっては?

キ116
キ116背面 廃止直前 提供:渡辺晃様(渡辺さん)

諸元

製造年月日…1932(昭和7)年
製造所…鉄道省大宮工場
前所有者…日本国有鉄道(旧鉄道省)
前番号…キ100形116
最大寸法…長11390×幅2621×高3885mm
自重…30.3t
荷重…なし
台車…前…TR42・後…TR41
制御器…株式会社芝浦製作所 RC-416型